なぜ掛け算を九九と呼ぶ?暗記が九九八十一から始まった歴史の真相
小学校低学年で誰もが懸命に暗唱した掛け算のフレーズ。「いんいちがいち、いんにがに……」と「1の段」から順に覚えるのが当たり前となっている現代、ふと「1から始まるのになぜ『九九(くく)』と呼ぶのか?」という疑問を抱いたことはないでしょうか。
実は、かつての日本では暗記のスタート地点が「1の段」ではなく、最も大きな積となる「九九八十一(くくはちじゅういち)」でした。古代中国から日本へ伝来し、貴族の教養や官僚の実務ツールとして定着した掛け算の暗記法は、数千年の時を経て学習の順番が劇的に反転した経緯を持っています。本稿では、最新の出土資料や古典文学、さらには現代のポップカルチャーに至るまで、九九八十一の由来と呼び名に隠された歴史の真相を徹底取材・検証します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:掛け算を「九九」と呼ぶ語源は、古代中国や古代日本において「九九八十一」から暗記をスタートさせていた歴史的慣習に由来する。
- 要点2:平城宮跡から出土した木簡や『万葉集』の戯書(言葉遊び)が示す通り、古代の九九は選ばれたエリート層の「高度な暗号・知性」の象徴だった。
- 要点3:中国古典『西遊記』の「九九八十一難」や現代のボーカロイド楽曲の題材に至るまで、東洋思想において「九九八十一」は完全性と極限の試練を象徴する特別な数字である。
【九九の呼び方の真相】なぜ掛け算を「九九」と呼ぶ?始まりは九九八十一だった
私たちが日常的に口にする掛け算九九の語源と歴史を紐解くと、その答えは文字通り「最初の暗唱フレーズ」にありました。現在のように「1×1=1(いんいちがいち)」から始める方式は「小九九(しょうくく)」あるいは順行順と呼ばれますが、古代において主流だったのは「9×9=81」からカウントダウンしていく逆順の暗記法でした。
文献の巻頭や口訣(暗唱の文句)が「九九八十一」から始まっていたため、その冒頭の二文字を取って「九九(くく)」という呼称が定着したのです。この命名パターンは、百人一首の上の句や古典テキストの名称(冒頭の語句をそのまま題名にする古代の慣例)と全く同じ文脈を持っています。
では、九九八十一 意味と成り立ちにおいて、なぜわざわざ計算が最も複雑な「9の段」から始めなければならなかったのでしょうか。歴史文献や算術史の研究では、主に以下の3つの有力な構造的理由が指摘されています。
第一に、古代中国の思想的背景です。陰陽道や易経において奇数は「陽の数」とされ、一桁の奇数で最大の「九」は陽が極まった最高位の神聖な数字(極陽)とみなされていました。天子の位を「九五の尊」と呼ぶように、尊貴な「九」を重ねた「九九」から始めることは、宇宙の秩序を数理に落とし込む古代の哲学的要請でもあったのです。
第二に、実務計算における「難関の早期突破」という教育的配慮です。暗記において最も掛け算の桁が大きくつまずきやすい「九の段」「八の段」を最初に叩き込み、終盤に向かうにつれて「一の段」という簡単な計算で負担を減らしていくという、古代ならではのスパルタ的な学習合理性がありました。
第三に、概算(フェルミ推定的な大枠把握)の優先です。古代国家の税収計算や兵糧の配分、土木工事の資材見積もりなどにおいて、官僚が真っ先に必要としたのは「最も桁数の大きな主要値」でした。微小な端数よりも全体の規模感を即座に掴むため、大きな数字の掛け合わせから頭に叩き込む実用上のメリットが存在していたのです。

【歴史と経緯詳細】古代中国の算術から日本伝来、そして現代順への変遷
古代中国の算術と九九の起源は、紀元前の春秋戦国時代(およそ2500年前)まで遡ります。『管子』や『荀子』といった諸子百家の古典の中にもすでに九九の断片が記述されており、秦の始皇帝の時代(紀元前3世紀)の遺跡「里耶秦簡(りやしんかん)」からは、完全に体系化された掛け算九九の木簡が発掘されています。
日本への伝来は、飛鳥時代から奈良時代にかけてのことです。遣隋使や遣唐使によって律令制度とともに大陸の数学書(『九章算術』や『孫子算経』など)がもたらされ、朝廷で税務や測量を担う主計寮(かずえのつかさ)や大学寮の算道(さんどう)で学ぶエリート官僚必修の高等知識となりました。
| 時代区分 | 暗記の順序・形式 | 主な学習層・社会的役割 | 編集部の見解・分析 |
|---|---|---|---|
| 古代(奈良・平安) | 「九九八十一」から始まる逆順 | 貴族・主計寮の官人(特権階級) | 国家財政の管理や暦の作成に直結する「機密技術」として独占。 |
| 中世・近世(室町・江戸) | 逆順から徐々に「順行順(1の段発)」が台頭 | 商人・町人・寺子屋の児童 | 和算書『塵劫記(じんこうき)』の大ヒットにより、実務教養として庶民へ爆発的普及。 |
| 近代・現代(明治〜2026年現在) | 「いんいちがいち」からの完全順行順 | 小学校2年生の全児童(国民皆教育) | 西洋数学の教育心理学(スモールステップ学習)に基づき、学習負荷を最適化。 |
掛け算の歴史 2026年最新研究においても、国内の発掘調査から新たな事実が次々と裏付けられています。奈良文化財研究所などの調査によると、平城宮跡や藤原京跡、秋田城跡など全国の官衙(役所)遺跡から「九九」が墨書された木簡が相次いで出土。その大半が「九九八十一」から書き始められており、奈良時代当時の官僚たちが暗算用マニュアルとして木簡を携帯し、業務にあたっていた生々しい現場が証明されています。
これが現代のような「1の段から覚える」スタイルに完全に移行したのは、明治時代の学制発布と国定教科書の整備が決定打でした。それ以前の江戸時代、吉田光由が著した大ベストセラー和算書『塵劫記』の段階ですでに「いんいち」始まりの合理性が説かれていましたが、近代国家として全国の児童へ均一な初等教育を普及させる過程で、「優しい基礎から段階的に積み上げる」という教育心理学的アプローチが正式に採用されたのです。
【万葉集と九九の意外な関係】古代エリートの粋な言葉遊び「戯書」の世界
古代の日本において、九九は単なる計算道具にとどまりませんでした。文字の読み書きと高度な数学を修めた一握りの貴族階級にとって、九九は自らの知性を誇示し、教養を競い合う「極上の言葉遊び」へと昇華していたのです。その決定的な証拠が、日本最古の歌集である『万葉集』に見られる「戯書(ぎしょ)」です。
戯書とは、漢字の意味や訓読みだけでなく、掛け算の九九の語呂合わせを使って表記する高度な暗号のような表記法を指します。『万葉集』の巻十一などに収録された歌の中には、現代の読者が見れば一見して意味不明な奇妙な漢字表記が散見されます。
例えば、「八十一」と書いて「くく(茎・声)」と読ませる例です。「9×9=81」という九九の式から、「八十一」という表記をそのまま「くく」という音の当て字として使用しました。同様に、「十六」と書いて「しし(肉・獣)」と読ませる例(4×4=16=しし)、あるいは「二八十一」と書いて「にくく(憎く)」と読ませる(2+9×9=に・くく)など、極めて技巧的な言葉遊びが縦横無尽に展開されています。
当時の朝廷サロンにおいて、掛け算の九九を即座に連想できることは超一流のインテリである証でした。夜這いや逢瀬の情景を詠んだ恋歌の中に、さりげなく「八十一(くく)」という数学的ギミックを忍ばせる万葉びとのユーモアと知性は、九九がいかにエリート文化の奥深くまで浸透していたかを物語っています。

【西遊記の真相とカルチャー波及】「九九八十一難」と現代楽曲の元ネタ解説
「九九八十一」というフレーズは、算術の世界を越えて中国の伝奇文学や現代のサブカルチャーにも巨大な足跡を残しています。その筆頭が、明代の大長編小説『西遊記』に登場する「九九八十一難(きゅうきゅうはちじゅういちなん)の真相」です。
『西遊記』の物語において、三蔵法師一行は天竺(インド)へ到達して真経を授かるまでに、妖怪の襲撃や天変地異など合計80の苦難を乗り越えます。しかし、長安への帰路、通天河で亀の精に川へ落とされるという最後のアクシデントが発生します。この理由について作中では、「真の成仏を果たすには九九八十一の苦難を完全に満たさなければならず、あと一つ足りなかったため」と明確に語られています。
道教思想や仏教の数理観において、「九」は最高の極数であり、その極数を自乗した「八十一」は完全無欠な大団円、あるいは人間が克服すべき最大の試練の総数を意味します。つまり、九九八十一難とは単なる語呂合わせではなく、「これ以上ない極限の試練を経て初めて至高の境地に達する」という東洋の宗教的メタファーなのです。
この重厚な古典の世界観を現代のポップカルチャーに鮮烈に蘇らせたのが、近年若者層を中心に大ヒットを記録した中華ボーカロイド楽曲『九九八十一』です。中国のクリエイター陣によって制作されたこの楽曲は、西遊記に登場する妖怪たちとの死闘や過酷な旅路を、疾走感あふれるロック調と伝統楽器の融合で描き出し、日本国内の歌い手や動画共有サイトでも爆発的なカヴァーブームを巻き起こしました。「九九八十一」というフレーズが持つ宿命的でドラマチックな響きは、何百年もの時を超えて現代の若年層の創作意欲を刺激し続けています。
【実態検証】「九九逆順」はなぜ消えた?現代の教育現場と暗記学習のリアル
現代のソーシャルメディアや教育系掲示板(知恵袋や教育論壇)では、定期的に「昔の九九逆順(九九八十一から始まる方式)の方が理にかなっていたのではないか?」という議論が巻き起こります。そこで、現代の教育現場の生の声と学習理論から、その実態を検証してみましょう。
教育関係者や保護者の証言によると、現代の小学校2年生が九九学習で最も強い挫折感を味わうのは「7の段(しちの段)」「8の段(はちの段)」です。「しちいちがしち、しちにじゅうし……」と舌がもつれやすく、数字の増え幅が大きい後半戦で急激に暗記スピードが落ち、算数嫌いを生むボトルネックになりがちです。
「もし古代のように九の段から始めていれば、最大の壁を最初に気合で乗り越えられ、後半が楽になったのではないか」という仮説も一理あるように思えます。しかし、現代の初等教育の現場目線では、逆順の導入は極めてリスクが高いと結論づけられています。
古代の学習者が「選抜された少数のエリート官僚候補」であったのに対し、現代の義務教育は「すべての子どもたちを誰一人取り残さずに基礎計算へ導く」ことが至上命題です。掛け算の概念(足し算の繰り返しであること)を理解していない児童に、いきなり抽象度の高い「9×9=81」を課せば、初期段階でのドロップアウトを大量発生させてしまいます。「1×1=1」「2×2=4」といった直感的に理解しやすい具象世界からスタートする現代の順行方式は、教育の普遍化が生み出した必然の防波堤と言えます。
【プロの結論】「知識の独占」から「教育の民主化」へ|九九の変遷が示す社会構造の教訓
九九の歴史を文化社会学および教育心理学の視点から俯瞰すると、暗記の順番が「九九八十一(逆順)」から「いんいちがいち(順行順)」へと逆転したプロセスは、単なる暗記テクニックの変更ではありません。それは、「支配階級による知の独占」から「大衆への教育の民主化」へと至る、人類社会の文明的進化そのものを象徴しています。
古代において、計算能力は国家の徴税、暦の独占、軍事動員を支配するための絶対的な「権力の源泉」でした。だからこそ、一般庶民をふるい落とすかのように、最も難度の高い「九九八十一」から始まる複雑な暗号体系として管理されていたのです。
しかし時代が下り、商業の発展とともに庶民が計算力を求め、明治の近代国家建設によってすべての国民に学ぶ権利が拓かれたとき、九九はその敷居を劇的に下げました。私たちが小学校で何気なく唱えている「いんいちがいち」というフレーズの裏には、先人たちが何百年間もかけて「難解な秘術」を「誰もが使いこなせる共通言語」へと開き直した、教育革新の血の滲むような足跡が刻まれています。

【九九八十一】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:掛け算の九九はいつ頃日本に伝わったのですか?
A1:飛鳥時代から奈良時代(7世紀〜8世紀頃)にかけて、遣隋使や遣唐使によって大陸から律令制度や算術書とともに伝来しました。平城宮跡や全国の役所跡から出土した当時の木簡により、官僚たちが実務で使用していたことが確実に裏付けられています。
Q2:昔の九九は、現在の九九と内容(式の数)が違っていたのですか?
A2:はい、古代の九九は現在のような「81通り(1×1〜9×9)」すべてを網羅するのではなく、重複する計算(例えば「3×7」と「7×3」など)を省略した「45通り」前後の形式(半九九)で記録されていた木簡も多く見つかっています。
Q3:なぜ海外の英語圏などでは「九九」のようなリズミカルな呼び名がないのですか?
A3:英語圏では掛け算表を「Times Table(タイムズ・テーブル)」や「Multiplication Table」と呼びます。日本語の九九のように「いんにがろく(2×3=6)」といった2拍・3拍の心地よい語呂合わせ(口訣)が言語構造上作りにくく、数字の音節も長いため、東洋特有のリズム暗記法とは異なるアプローチが採られています。
Q4:『西遊記』の「九九八十一難」と掛け算の九九は直接関係があるのですか?
A4:直接の計算問題としての関係ではありませんが、思想的根源を同じくしています。古代中国の陰陽思想において、奇数の極限である「9」を自乗した「81」は「最大・完全・極限」を象徴する数字であり、西遊記の苦難の数も九九の掛け算も、この同一の数理的世界観に基づいて成立しています。
まとめ:日常の言葉の奥に眠る壮大な歴史ロマン
「なぜ掛け算を九九と呼ぶのか」という幼少期からの素朴な疑問。その背景を掘り下げると、紀元前の古代中国の哲理から始まり、奈良の宮殿で木簡を握りしめた官僚たちの息遣い、『万葉集』で恋の歌に暗号を忍ばせた貴族たちのウィット、そして西遊記が描いた壮大な試練の物語にまで繋がっていました。
「九九八十一」から始まった掛け算が、やがて「いんいちがいち」へと姿を変え、現代のすべての子どもたちの学びの土台となっている事実――。私たちが普段何気なく口にしている言葉の奥底には、時代を超えて知恵を繋いできた人類の壮大な歩みが、今も確かに息づいています。 (出典: 九 九 八 十 一(Yahoo!ニュース))